高橋 ジョウタロウ とは

ダイヤモンドリーダーズアカデミー 創設学長 高橋ジョウタロウ

高橋ジョウタロウ

ダイヤモンドリーダーズアカデミー 創設学長

18歳で理容師としてキャリアをスタートし、美容師へ転身。しかし、腰痛の悪化と交通事故という現実に直面し、サロンワークからの引退を余儀なくされました。

現場を離れた後は、美容室の本社、リクルート「Hot Pepper Beauty」の営業職など、さまざまな立場から美容業界に関わり続けてきました。そして31歳で独立。サロン経営、フランチャイズ展開、コンサルティングと領域を広げながら、25年にわたりこの業界と向き合い続けてきました。

決して順風満帆な道のりではありませんでした。だからこそ、確信を持って言えることがあります。

—— 失敗を恐れずに挑戦してきたから、今がある。

数千万円に及ぶ自己投資。数えきれない試行錯誤と挫折。そのすべてを通して辿り着いた答えは、極めてシンプルでした。それは、「人と組織の問題は、“あり方”と“基準”で決まる」ということ。そして「全ての原点・ゴールは、経営者自身にある」ということ。

答えのない時代に、自ら答えを創り出す力を。
変化の激しい時代に、自ら変革を起こす力を。
先の見えない時代に、自ら未来を切り拓く力を。

Diamond Leader's Academy(DLA)は、「人と組織の問題解決」「理念経営」「人財育成」「組織構築」「リーダーシップ形成」に特化した実践型アカデミーです。心理学・脳科学・成功哲学を融合した「価値観教育」と、オリジナルメソッドである「4つのジンザイ」などの考え方を軸に、スキルやノウハウに留まらず、人間力そのものを高めることで、本質的な課題解決を実現します。

私たちが提供するのは、流行に左右される表面上のテクニックではありません。どんな時代でも通用する「原理原則」に基づいた、再現性のある成功法則です。「やり方」の前に、「あり方」を磨く。 理念を掲げるだけで終わらせず、現場で実践し続けられる人財を育てる。

その先にあるのが、
高い価値基準を持ち、自ら輝きを放つ「ダイヤモンドスタッフ」
その人財が中心となり、成長し続ける「ダイヤモンドカンパニー」
そして、理念・ビジョン・利益を実現へと導く「ダイヤモンドリーダー」です。

人が育てば、組織が変わる。組織が変われば、未来が変わる。その変化の起点に立ち続けること。それが、DLA創設学長としての使命です。

美容師から経営者へ、そしてDLAへ

失敗と挑戦を繰り返しながら積み上げてきたキャリア。経営の現場で感じた悩みをそのままプログラムに落とし込んだのが、ダイヤモンドリーダーズアカデミーです。

1
原点

父の存在と、「お金がない」という現実

指輪職人として家族を支えてくれた、誇り高い父。大好きで、心から尊敬している存在です。しかし、景気の悪化はその生活を直撃しました。

高校生だった私は、スポーツトレーナーになりたいという夢を父に打ち明けました。けれど返ってきたのは──「お金に余裕がなくて、支援できない」その一言でした。

父を責めることはできませんでした。でも、心の奥底に強烈な感情が生まれました。「お金がないことで、未来の可能性が閉ざされてしまうのか」 ──その悔しさが、自分の人生を自分で切り拓くという覚悟の原点になったのです。

2
社会人キャリアスタート

基準なき世界で、道が見えなくなった日々

高校卒業後、父の紹介で床屋に住み込みで働き始めました。そこはオーナーのことを「マスター」と呼ぶ、徒弟制度の空気が残る床屋でした。

技術マニュアルもなければ、教育制度もない。ただ一言──「見て覚えろ」

何が正解なのか分からない。評価基準もない。 ただ毎日が過ぎていく中で、自分の中にあるのは、不安と迷いだけでした。「このままでいいのか」その問いが、ずっと心の中にありました。

3
転機と挫折

夢に向かい始めたその時、すべてが崩れた

「自分は床屋ではなく、美容師として生きたい」そう決意し、美容師へ転職。アシスタントとしてゼロからの再スタート。床屋自体以上に給料は低く、労働時間も長い。休みも少ない。生活に全く余裕がないので、食事はお米とレトルトのお味噌汁、そして缶詰ひとつ。

それでも自分で選んだ美容師の道。だからこそ、毎日頑張りました。そしてどんどん仕事に楽しみを覚えていった中、突然それは起こりました。忘れもしない、7月7日の朝。通勤途中、交差点で車にはねられてしまい、救急車で病院に運ばれたのです。

「また、自分の未来が断ち切られてしまった」

そう感じました。そして僕は、これをきっかけに美容師の道を引退することになります。

4
再起

できない理由ではなく、できる方法を考える

美容師を辞めた後、美容室本社勤務を経て、リクルート「Hot Pepper Beauty」の営業職へ。「業界経験がある自分なら、きっと通用する」そう思っていました。

しかし現実は甘くありませんでした。目標は未達成続き。3ヶ月連続の大クレーム。自信は、完全に崩れました。「自分には営業職は向いていない」そう思い、当時のマネージャーとお世話になった先輩に退職を相談しました。しかし全く別の日に相談したのに、二人からは同じ言葉をいただいたのです。

「あなたはまだ全力を出し切っていない。お客様に本気で向き合えば、結果は必ずついてくる。だからもう一度全力で挑戦しなさい」

その言葉で気づいたのです。自分は営業職に向いていなかったのではなく、「自分が営業職に向き合っていなかった」ことに。それ以来、自分の思考が変わり、行動が変わりました。そしてそれから半年後、営業表彰受賞という結果をいただくことができたのです。

「できない理由ではなく、できる方法を考える」リクルートで出会ったこの言葉は、人生を変えるきっかけになりました。

5
独立

31歳 ── 美容室経営をスタート(2013年7月4日 創業)

リクルートでの仕事は充実していました。成果も出て、自分の成長を実感できる日々。しかしその一方で、心の奥では問い続けていました。「このままで、本当にいいのか」安定の中にいながらも、“挑戦したい”という心の灯火は消えないままでした。それは次第に、抑えきれないほど大きくなっていきました。そして決断します。積み上げてきた環境も安定も手放し、夢に人生を賭けることを。

2013年6月、リクルートを退職。
2013年7月4日、美容室経営をスタート。サロンの出店地は自分が生まれた街の隣街。そして独立した日は、大好きな母の誕生日でもありました。

ご縁を感じ、希望を持って独立。
しかし── そこから始まったのは、想像以上に過酷な現実でした。

1日15時間、朝から夜中まで働き続ける日々。最初の1年で休んだのはわずか15日。それでも苦しいとは思いませんでした。 「自分の人生を生きている」という実感があったからです。お客様に喜んでもらいたい。仲間の人生を良くしたい。その想いだけで走り続けました。

その結果、サロンは地域の人気店へと成長。お客様も仲間も増え、規模が拡大していきました。

──けれどもその裏で、新たな試練が静かに始まっていたのです。

6
苦悩

2店舗目開業、スタッフとの衝突

開業から2年でサロンは2店舗、20名体制へと拡大しました。順調に見えたその裏で、組織は少しずつ歪み始めていったのです。価値観の違い。すれ違う想い。何名かのスタッフとは折り合いがつかず、うまく関係性を作ることができませんでした。

そしてある日、店長から言われた一言。「あなたでは経営はうまくいかない。他の経営者にサロンを買い取ってもらった方が良いと思う」

ー頭が真っ白になりました。悔しくて、情けなくて、涙が止まりませんでした。「なぜ、こんなに想いを伝えているのに伝わらないのか」 「これだけ頑張っているのに、なぜ報われないのか」

答えの出ない問いを、何度も自分に投げかけました。誰にも頼れない。本音も言えない。経営者である以上、弱音すら許されない。気づけば、すべてを一人で抱え込んでいました。そしていつの間にか──本来いちばん大切にしたかった“想い”さえ、見失いかけていたのです。

7
変革と挑戦

サロン経営とコンサルティングの二重生活

あの一言は、今でも忘れられません。けれども悔しさの奥で、はっきりと気づいていました。問題は、スタッフではない。この状況をつくっているのは──自分自身だと。マネジメント力の低さ。リーダーシップの未熟さ。その事実から、もう目を背けないと決めました。

「自分を変える」そう覚悟し、スタッフ育成・組織マネジメントを専門とするコンサル会社への転職を決意。業界トップレベルの環境に飛び込みました。

そこから始まったのは、想像を絶する多忙な日々でした。週4日は経営コンサルタントとして現場に入り、残りの週3日は、自社2店舗20名のマネジメント。地方出張が続き、深夜2時までの打ち合わせ。そのまま数時間後には始発に乗り、次の現場へ。休むという選択肢は、ありませんでした。それでもやり続けたのは、「変わりたい」という想いがあったからです。

人はなぜ動くのか。組織はなぜ崩れるのか。経営の現場・コンサルの現場で「人と組織の問題」にぶつかりながら、本質を学び続けました。キーワードは「やり方」ではなく「あり方」。組織は感情ではなく、想いを仕組みにすることで動き出すことが分かりました。

8
転換

悩む経営者の支えになりたい ── コンサル事業を本格スタート

コンサルタントとして現場に立ち続ける中で、少しずつ、自分の中に揺るがない“軸”ができていきました。大切なのは知識やスキルだけではなく、経営者としての価値基準。人と組織の問題に向き合う決意と覚悟。

それらが、確かなものになっていったのです。そして、自社の組織にも変化が生まれ始めました。問題行動を繰り返す店長に対して、私は逃げずに、真っ直ぐ向き合いました。

「会社とあなたでは、向かっている目的地が違う。会社があなたに合わせて進むことはない。 もし同じ方向を向けないのであれば、別の環境を選ぶことを後押ししたい」

覚悟を持ってその言葉を伝えました。結果として、店長や価値観の合わないスタッフは離れていきました。しかし同時に、 理念・ビジョン・価値基準に共感する仲間が集まる組織へと変わっていった

のです。 同じ頃、SNSでの発信も始めました。集客やテクニックではなく、「人と組織の問題解決」「人としてのあり方」。原理原則や本質を発信し続けました。すると次第に、その言葉に共感した経営者から相談が届くようになったのです。

話を聞けば聞くほど、感じたのは── 「過去の自分と、同じ苦しみの中にいる」という現実でした。孤独。葛藤。迷い。苦悩。そのすべてを、かつて自分も経験してきたからこそ、分かる。だからこそ、強く思ったのです。「この人たちの力になりたい」その想いは、次第に確信へと変わっていきました。

中途半端な関わりではなく、本気で向き合う覚悟を持つ。そう決意し、勤めていたコンサル会社を退職。コンサルタントとして、完全独立。「人と組織の問題を解決する」という道を、 自分の人生の中心に据えた瞬間でした。

9
DLA創設

美容室経営者からの引退。DLA創設へ

コンサルタントとして多くの現場に関わる中で、ある確信にたどり着きました。それは、ほとんどの経営者が、「人と組織の問題」に苦しんでいるという事実です。売上ではない。戦略でもない。人が育たない。組織がまとまらない。その根本にある問題に、誰もが向き合いきれていない。そして、その苦しみはかつての自分と、まったく同じものでした。

話を聞くたびに、胸が締めつけられる。「この問題を、本気で解決できる人間がいるとしたら── それは、自分しかいない」── その想いは、やがて使命へと変わっていきました。

このまま片手間な活動では、何も変えられない。出会った縁ある人・企業、そして業界の未来がもっともっと豊かで明るく幸せなものとなるように、本気で向き合うなら、すべてを賭けるしかない。そう決めた瞬間、迷いは消えました。そしてサロン経営者からの引退と、経営者の育成に人生を使うと決断したのです。

そして生まれたのが「ダイヤモンドリーダーズアカデミー DLA」です。

DLAでは、「ダイヤはダイヤで磨かれる」「4つのジンザイ」「ダイヤモンドスタッフ・ダイヤモンドカンパニー・ダイヤモンドリーダー」「原理原則と成功哲学」「選択理論心理学」など、様々な本質的な価値を体系的にまとめました。

それは単なる教育事業ではありません。経営者が変わり、人が育ち、組織が自走する。その“本質的な変化”を生み出すための場所です。出会った縁ある人と企業の未来を、より豊かで幸せなものにしていくために。業界の夜明けを実現するために。

そのすべてを実現することが、私の人生の生きる意義・使命です。

高橋ジョウタロウ をより知っていただくために

本人が語る「失敗を恐れずに挑戦してきたから今がある」という言葉の背景をご覧ください。

「どんなにつらいときでも壁から目をそらさず、
絶対にこの壁を乗り越える——そう決めたんです。」

一見不幸に感じてしまうこと、不遇に思ってしまうこと。辛いこと、苦しいこと。
実はこれは自分に大切な気づきを与えてくれるメッセージです。
だからこそ僕は、恐れずこれからも挑戦し続けてしていきます。

そしてその経験を全て、DLA of 込めて未来への希望を灯し続けます。

高橋 ジョウタロウ 署名